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2011年10月24日月曜日

遊心大空

松岡さんが早稲田の学生時代に、お父様が他界されました。
事業家であったためか、死後かなりの借金が残っていた事が判明します。
支払い義務のあるお母様には、とても払い切れる額ではありません。

そして、松岡さんは一念発起します。
まだ学生ですからバイトはできます。
でもそれでは到底払い切れる額ではありません。
そして、松岡さんは、思いがけない挙に出ます。

出社の必要のない歩合制の営業の仕事を2社かけもちし、父親の借金と生活費、そして妹の学費をその営業の歩合でまかなったそうです。
どうして2社のかけもちなのかというと、1社だけでは到底払い切れる額ではなかったためと言いますから、それなりのまとまったお金を松岡さんはコンスタントに毎月支払わなければならなかったのだと思います。

私は長い間、松岡さんという方は若い頃からお金を得るための経済活動等は一切せず、ただひたすら読書に没頭して、芸術と化学を融合した前衛雑誌を仕切れるような、「知の巨人」となられたものだとばかり思っておりました。

1年程前にこの事実を知って以来、私は今でも感動の海に浸っています。

私は松岡さんのサインを頂くため事務所に出向いたとお伝えしましたが、いただいたサインにはこう綴られていました。

新井田君

遊心大空

松岡正剛

2011年10月20日木曜日

オブジェマガジン「遊」

この本を1978年のとある午後に本屋で見かけた衝撃は
今でも心に焼き付いて忘れられません。
とにかくただならぬオーラが漂っていました。

内容はあまりに難しくてチンプンカンプンでしたが、
なぜか心がときめいたことは今でもよく覚えています。




表紙のデザインは、杉浦康平氏というグラフィックデザイナーのものです。
素晴らしいデザイン力です。

ある著名なデザイナーの方が、「もし杉浦康平をグラフィックデザイナーと呼ぶのなら、世界中のデザイナーはデザインをしていない」と言わしめた人物です。

最近はCGでマウスを駆使しながらデザインをするのが当たり前ですがその当時手書きでこのデザインをされた能力には、本当に舌を巻きます。

その上、なんと「遊」のデザインを10年間携わりながら
松岡さんの前衛雑誌を作りたいという心意気に感動し、デザイン料を一切受け取らなかったという事実!

それをつい最近知ってからというもの、今でも私は感動に内震えています。
是非こちらをお読み頂きたい!

こんなに感動したのはホント久しぶりです。


「遊」には、不定期刊のI期と隔月のII期、そして月刊のIII期がありました。
私はII期とIII期のバックナンバーは全てそろえてありますが、I期に関しましては4冊程度です。

実はI期とII期の過渡期に、特別企画として「存在と精神の系譜」が発売されました。
これは松岡さんが非常に影響を受けた100名の著名人に対する個人的な見解を綴った企画でしたが、この本のサブタイトルが

「私」と「世界」を超えようとした者達の景観

というものでした。

このサブタイトルはおそらく松岡さんでしか表現し得ないだろう素晴らしい感性を私は感じます。

この本は前々回のブログの「空海の海」以上にボロボロのため、写真ではお見せできませんが、かれこれ20年近く暇さえあれば何度も繰り返して読んでいます。

フランスの哲学者シモーヌ・ヴェイユに関しての松岡さんの最後のコメントがこういう文章で終わっています。

「男は女を感動させて泣かせるべきだ。」という見解があるようだが、そんな無定見な反論ではただただ男を動物化させるだけである。「いいえ、男の身体に泣くのではなく、その精神だ。」という前に、女達よ、地球を抱いて男こそを泣かせなさい。

もう何度読んでもシビレます。
私は「IQ84」は2ページも読み進めることができませんでしたが、松岡さんの本なら何百回も読めます。どうして私の心の琴線を触れまくるのか。長い間それが謎でした。

そして、1年ほど前から読み進めている松岡さんの「先夜千冊」を読み進めていくにつれ、松岡さんの文章がどうして私に感動を与えるのかという謎が、徐々に分かってきたのです。

松岡さんは単なるインテリゲンチャーではありませんでした。

2011年10月15日土曜日

空海展に行ってきました。

少し前ですが、9月の末に上野の東京国立博物館へ
「空海と密教美術展」を見学に行ってきました。

7月から展示していたので「いつか行こう」とのん気に構えていたらすっかり忘れてしまい、最終日の前日に突然思い出し、そそくさと一人で出かけた次第です。

空海実筆の文字を見ることができたのは、大変な収穫でした。
十代に書き上げた「三教指帰」の文字は、才気走った雰囲気が十分感じられましたし、四十代に最澄に送った手紙の文字には、ある種の悟りを開いたことが感じられ、落ち着いた心の状況が手に取るようにわかりました。

キリスト教や密教にはほとんど関心はないのですが、若い頃からなぜかイエスと空海に惹かれていました。

特に空海においてはこの本に出会ってますます関心が強くなり、高野山にまででかけたこともあります。



何度も読み過ぎて、もうボロボロです。

著者は松岡正剛氏。
実は二十代前半に松岡氏の事務所にまで行って、サインを頂いて来たほどの
熱狂的な正剛ファンでした。

なぜでしょう。

理由は、33年前の1978年にまでさかのぼります…。