カテゴリー

2009年12月26日土曜日

This is It is This is It


ちょっと前になりますが、11月某日、次女の知人からチケットを頂き、マイケルジャクソンの「This is It」を何十年振りかに映画鑑賞をさせて頂きました。
チケットをプレゼントして頂いた方には、この場をお借りして感謝致します。
ありがとうございました。

私なりの独断と偏見で感想をお伝えしたいと思います。
マイケルの貴重なリハーサル映像を映画として観ることができたのは、突然の訃報でマイケルがロンドン公演を果たせなかったという理由は皮肉と言えば皮肉ですが、やはり彼はタダモノではなかったです。
天才のカテゴリーの歌手だったとは、よく分かりました。

一番印象的だった所は、マイケルはリハーサルモードで流してダンスをしているにも関わらず、世界中の選りすぐりのダンサーがバックで必死に踊っていても、マイケルの圧倒的な存在感はやはり凄いものがあります。

あとこれはリハーサルだからこそ判明した事ですが、彼はポップシンガーではなく完璧なソウルシンガーです。

「King of Pop」ともてはやされていますが、絶対に彼は
ポップシンガーではない。
あれほどグルーブ感を重視しているマイケルは非常にインパクトがありました。
彼はダンスが上手すぎたのが、ソウルシンガーとして認めづらかったんだと思います。
今まで私は完全にマイケルのダンスに魅了されていた為、ポップシンガーとして聴いていましたが、とんでもない。彼のグルーブ感のあるボーカルは、まさにソウルシンガーのそれで、目を閉じてマイケルの曲をじっくりと味わうと非常に洗礼されたソウルミュージックだと気づきます。

どこかの国にもR&Bもどきやソウルシンガーもどきが数多くいらっしゃいますが、そういう方々とマイケルを比較してしまうと、ただただ無限の開きを実感してしまったというのが正直な気持ちです。

バックダンサーのダンスのセンスを見極めようと、そのビデオ映像を無心にチェックしながらチュッパチャップスを舐めていたマイケルの瞳が私の心をとらえて離さない…。

写真は、私が1番好きなマイケルのポスターです。

2009年6月26日金曜日

Forever Michael Jackson

現地時間2009年6月25日のマイケルジャクソンの突然の訃報は、約30年前のジョンレノンが銃弾に倒れた時と同じくらい、私には衝撃的な出来事でした。

マスメディアは、彼を「King of Pop」と賞賛していますが、ちょっとズレていると私は思います。
彼は、「King of Pop Dancer」が正確かと思います。

ロンドン公演が叶わなくて、本当に彼も無念だったと思いますが、願わくば、もう一度だけクインシー・ジョーンズと一緒にアルバムを作ってほしかったです。

プリンスとのコラボも実現してほしかったな・・・

2009年5月23日土曜日

長崎原爆資料館

原爆投下までの、徹底フォーカスされた歴史的事実が
ここにあります。


1938年
 ドイツで核分裂が発見され、原子力爆弾として使用可能であることが示唆された。

1942年
 アメリカは当時の日本の国家予算をしのぐ、マンハッタン計画を発足させ(当時の20億ドル)、その巨費を投じ、原子力爆弾の開発に着手する。当時はドイツを標的とした開発であった。

1943年5月5日
 アメリカ軍事政策委員会政策会議において、原爆の投下地点を日本艦隊にすることが提案される。

1944年9月18日
 アメリカ、ニューヨーク州のハイドパークにおいて、チャーチル英首相とルーズベルト米大統領の対談が行なわれ、原爆の使用を、日本に対して行うことで意見が一致した。

1945年4月12日
 ルーズベルト米大統領が死去。その後副大統領だったトルーマンが大統領となる。

1945年4月22日
 アメリカ軍の第一回目の原爆目標検討委員会において、下記の都市が検討される。
 東京、川崎、横浜、名古屋、大阪、神戸、京都、広島、呉、八幡、小倉、下関、山口、熊本、福岡、長崎、佐世保

1945年5月10日
 第二回目の原爆目標検討委員会において、下記の都市に絞り込まれる。
 横浜、京都、広島、小倉

1945年5月28日
 第三回目の原爆目標検討委員会において、下記の都市に最終的に絞り込まれる。
 京都、広島、新潟

1945年5月31日
 原爆投下に関する「暫定委員会」において、原爆の投下を、事前警告を行わずに日本に投下することが決定された。

1945年7月17日
 科学者レオ・シラードが、米大統領宛に原爆の使用を阻止する要請書を送る。
 シラードに賛同する69名の科学者の署名も同封した。

 が、大統領の手に渡ったかどうかは不明。

1945年7月24日
 原爆の投下目標に、京都、広島、新潟の他に、長崎が加えられた。

1945年7月25日
 原爆投下指令をトルーマン米大統領が承認。

1945年8月2日
 原爆の投下は、広島を第一目標とし、8月6日の攻撃実行作戦命令が発せられた。

1945年8月6日1時45分
 原爆投下爆撃機「エノラゲイ」が、サイパンの隣の島、テニアンより出発。

1945年8月6日8時15分
 広島にウラン原爆を投下。

1945年8月7日
 ポツダム会談の中で、トルーマン米大統領が、広島への原爆投下について「何万人ものアメリカ青年の生命を救うため原爆を使用した」と述べる。

1945年8月8日
 グアム島陸軍第20般室隊の司令部が、原爆投下命令を交付。第一目標を「小倉」とした。第二目標は「長崎」。

1945年8月9日AM2時49分
 原爆を搭載した爆撃機が、小倉上空を3回旋回したが、焼夷弾の煙により目標地点が確認できず、原爆の投下を断念し、長崎を目指す。

1945年8月9日AM10時58分
 長崎上空も雲のため視界不良、その上燃料不足のため原爆投下を諦め、帰還を検討。

1945年8月9日AM11時02分
 一瞬の雲の切れ間に、長崎市街が現れた。長崎にプルトニウム原爆を投下。
合掌

2009年5月20日水曜日

知覧よ…


今から約2年前、鹿児島に日帰りの出張がありました。
無事仕事も終え、出張依頼のお取引先の担当者の方が、鹿児島空港まで車で送ってくださるということになり、その時の車中で交わした会話です。

「新井田さん、知覧って知ってますか?」
「チランですか?いや、知らないです。」
「戦時中、特攻隊の飛行場だったところです。」
「へ~、そうだったんですか…」
「資料館もありますので、また鹿児島に来る機会があれば、是非1度行ってみてください。先日、小泉首相が来て、号泣したそうですよ。」
「今から行けないですか?」
「もう夕方なんで…、資料館も5時までですし…」
「いずれ必ず行きたいと思います。」

そして、2009年5月5日、8時45分、私はある種約束をやっと果たしたような感慨を胸に、知覧特攻平和会館の前に立っていました。今回の行き当たりばったりの九州の放浪に、一つだけ絶対に外せなかった場所は、ここ知覧でした。

私は右派でも左派でもありませんし、常にニュートラルな立場で物事を考えようと勤めています。特攻隊に人一倍興味があるわけでもありません。ただ、小学生だった頃、1000名前後の若干20歳前後の青年が、劣勢の日本軍のため、連合艦隊に飛行機もろとも突撃したという歴史を知らされました。
当時の私にはあまりにも強烈な記憶となり、しばらくの間、飛行機を見るたびに特攻隊の事が脳裏をよぎっていた時期がありました。

知覧特攻平和会館には、復元されたゼロ戦が展示されていたり、特攻隊にまつわるいろいろな資料もあり、とても興味をそそられましたが、しばらく歩くと、特攻隊員全員の遺書が
ショーケース内に展示されていました。

その最初の遺書を読み始めて15秒後、私は、涙で文字が全く見えなくなり、目頭をどんなに強く押さえてもとめどなく涙があふれ、人目もあるので「泣くまい」とどんなに気を紛らわそうとしても、あまりの悲しさ、辛さ、やるせなさで、天を仰ぎ、両手で目を覆い、しばらく立ち尽くしてしまいました。
何度も押し寄せる慟哭で、声が出そうになるのを必死でこらえるのが精一杯でした。

写真は特攻前夜に宿泊するための「三角兵舎」です。
まさに、大きなうさぎ小屋のようなところでした。

下記に特に印象深かった遺書を記します。
(本当は原書を読んでいただければ、どれほど心を打たれることか…)

本当に心の優しい方だったことがしのばれます。
詩人の魂をひしひしと感じられる遺書です。
「残念」とはまさにこの事だと思います。
どれほど彼は「無念」だったことでしょう…。

最後に一つだけお伝えしたいことがあります。1036名の特攻隊員の中に、6名の韓国人と、4名の朝鮮人の方々が含まれていたことを…。





<出撃前夜>

色々有難うございました。
別に言うこともありません。
唯有難くうれしくあります。
最後の時まで決して御恩は忘れません。
月なみな事しか出て来ません。
姉妹の皆さん、
いよいよ本当にお別れ。
今でも例のごとくギャアギャア皆とさわいでいます。
哲学的な死生観も今の小生には書物の内容でしかありません。
国のため死ぬよろこびを痛切に感じています。
在世中お世話になった方々を一人一人思い出します。
時間がありません。
ただ心から有難うございました。
笑ってこれから床に入ります。
オヤスミ

<出撃当日>

あんまり緑が美しい
今日これから 
死にに行く事すら忘れてしまいそうだ。
真青な空
ぽかんと浮ぶ白い雲
6月の知覧は
もうセミの声がして
夏を思わせる。
作戦命令を待っている間に

小鳥の声がたのしそう
「俺もこんどは
小鳥になるよ」
日のあたる草の上に
ねころんで
杉本がこんなことを云っている
笑わせるな
本日十三時三十五分
いよいよ知ランを離陸する
なつかしの
祖国よ
さらば
使いなれた
万年筆を"かたみ"に
送ります。

大出博紹

昭和20年4月11日出撃戦死 大阪府出身 当時二十二歳 

合掌

2009年5月17日日曜日

九州放浪記


5月3~6日のGW期間中、土・日・祝日ETCであれば日本国中どこまで行っても、高速料金1000円(首都圏、近畿圏は除く)という恩恵をめいっぱい享受するため、T3のワーゲンキャンパーを駆り、九州各地を放浪してきました。

途中広島に寄り、原爆ドームを皮切りに、厳島神社、鹿児島の佐多岬、指宿、知覧、宮崎の高千穂神社、天の岩戸神社、国見ヶ丘、長崎の原爆資料館、出島、京都、というまさに強行スケジュールの行き当たりばったりの旅でしたが、今にして想えば本当に感慨深き旅でした。

特に印象深かった場所を、コメントを交えてブログにアップしていこうと思っています。

2009年1月25日日曜日

オバマ大統領就任演説について

最近TVはほとんど見ないので実際のスピーチは見ていませんが、オバマ大統領の就任演説の全文をネットで一読しました。

うわさではライターは27歳の男性ということですが、真偽の程はわかりません。
個人的な率直な感想としましては、やはりアメリカはコテコテのキリスト教国家だなという実感です。

読み進めるうちに、自称聖書オタクの私は、旧約聖書の「イザヤ書」を読んでいるような錯覚に陥ってしまいました。

この就任演説を日本で麻生総理が読み上げることを想像すると、すごい場違いな感じで、かなり笑えそうです。

「…過去に固執し、狭い利益しか守らず
面倒な決定を後回しにする時代は終わった。
今日から我々は立ち上がり、ほこりを払い、
アメリカ再建のための仕事に取りかからねばならない…」

全くごもっともです。
ここで気になる点が、「ほこりを払い」という部分。
日本人にとってはちょっとしっくり来ない言い回しのような気がしないでしょうか。

実はここが非常にキリスト教的です。
下記の文章は、イエスが12弟子に対し、自分が起こせる奇跡同等の技術を教え、弟子たちが福音を一般人に述べ伝えるにあたり、述べた言葉です。

「その家が平和を受けるに値するなら、平和はその上に下るだろうし、値しないならその平和はあなたたちに戻ってくる。あなたたちを受け入れず述べ伝えることを聞かないなら、その家その町を去り、足のほこりを払いなさい……私があなたたちを送るのは、羊を狼の中に入れるようなものです。だから蛇のように聡く、鳩のように無邪気でありなさい。」
(マタイによる福音書第10章13節から)

最後の「蛇のように~」という部分は、イエスの言葉というよりは当時のイスラエル民族の処世訓でしょうが、「ほこりを払う」という言い回しを使うところなど、大統領の演説を書いたライターがいかに聖書を読み込んでいるかがわかります。

ちなみに私はクリスチャンではありません。あしからず…
そもそもイスラエル民族が「ほこりを払う」のはどうしてかというと外地から自分の国に帰るときに、足や靴についたちり(ほこり)を払う習わしがあったからです。
エホバという唯一神を信仰していた彼らは、異邦人の土地を不浄と考えていました。

前々回のブログで、オバマ大統領の演説が「実にキリスト教的」と言ったことは、本質的には「ユダヤ教的である」ということでもあります。
ユダヤ教の歴史から考えれば、キリスト教は見方によっては
まだまだ新興宗教の域だと考えられます。
では歴史的にはかなわないユダヤ教と対抗するため、新約聖書のライターはどうしたかというと、ユダヤ教のしきたりをさもキリスト教的なものであるように上手くカモフラージュさせて、旧約聖書のエッセンスを新約聖書に上手く取り入れて書いています。
実に巧妙だなぁと感心させられる部分が多々あります。

ところで、「ほこりを払う」ことは、日本では神道の「お清め」あるいは「禊(みそぎ)」ともとらえられます。

日本人とイスラエル人のつながりは、イスラエル12部族の中の「失われた10部族」がシルクロードを経由し、日本にたどり着いて住み着いたという説があります。
確かに言葉や文化、衣装などにおもしろいほど類似性がいろいろありそれについての興味深い本もたくさんありますので、ご興味のある方は一読をおすすめいたします。

ユダヤ教を含め、ほとんどの宗教は「人類が滅亡に向かって現在進んでおりこれから大変なことになりますが、最後にはこの宗教を信じていればあなたを救済しますよ」という考え方ですが、私は神道の考え方の基本である一年ごとに全てリセットして、お正月には「あけましておめでとうございます」という考え方が、実に素晴らしく清々しいものだと最近は実感しております。

その考え方が基本にあれば、どんな対立があっても「水に流す」ことが想定できます。ただ問題は、この「水に流す」という発想が、日本人以外には全く理解できないということです。これは非常に残念なことです。

いくらイエスキリストが「汝の敵を愛せよ」とか「右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ」とか「七の七十倍まで人を許せ」と叫んだところで、それは到底無理な話です。

アメリカに原爆を二度も落とされ、筆舌に尽くし難い大変な犠牲を払ったはずの日本がこれだけアメリカ文化を受け入れ、協調できたものも日本人の「水に流す」という思想があったからこそ実現できたことだと私は思います。

「リセット(チャラに)して水に流す」

実に軽薄ですが、対立する相手に心の中である程度覚悟する一つの考えとして、十分アリだと思いますが、どうでしょうか、オバマさん?

ところで、禅の「このままからそのままへ」って、メチャクールですよね?

「日本に生まれてきて本当に良かった」

オバマ大統領の演説を読んで、心の奥底で私はしみじみそう思いました。

2009年1月22日木曜日

carbon and metaboric offset -CO2とメタボ削減を目指して-






あけましておめでとうございます。
2009年はじめてのブログです。
遅ればせながら今年もよろしくお願いいたします。

今年からブログをなるべく日々更新していくとともに、地球環境とメタボ対策として自転車通勤をできるだけ始めていこうと思っております。

世田谷の自宅から港区の会社まで、約50分の通勤時間です。確実に車より早いです!(満員電車に乗るストレスもない)ただ、意思が非常に弱いせいか、いろいろなダイエットは数限りなく試みてはみるものの、夢は無残に打ち砕かれ、元のもくあみ…という繰り返し。
何とか終止符を打ちたいその一縷の望みが、自転車通勤です。

写真は、私の愛車折りたたみ自転車のブロンプトンです。

事務所の前でパチリ☆
約4年前に購入しました。
英国製の手作りなので、非常に高価です。(13万円位)
英国製はどういうわけかなかなか飽きが来ない味わい深い商品が多いですね。かつて所有したことのあるM100のロータスエランに通じるものがあります。
そういえば、M100のエクステリアデザインを担当した(マクラーレンF1のエクステリアデザインも担当)ピーター・スティーブンスの最近の詳しい情報をご存じの方、教えて下さい。

今年もストーンマスターオリジナル商品を開発していきます。
お客様によりご満足いただけるような商品を提供していきたいと思っています。

皆さま素敵な1年をお過ごしください。